憂歌団歌手简介

憂歌団简介 内田勘太郎(g)、木村秀勝(vo&g)、島田和夫(dr)、花岡憲二(b)の4人は、73年頃から京都で起こったブルース・ムーヴメントのなかで、他のエレクトリック・ブルース・バンドに混じりアコースティックな持ち味を発揮。75年10月にショーボートからリリースされたファースト・シングル「おそうじオバちゃん」の問題的な歌詞により一週間で放送禁止となり衝撃のデビューを果たす。同年11月にファースト・アルバム『憂歌団』をリリースし、この頃から東京でもライヴを敢行。以降、マディー・ウォーターズやRCサクセション、シーナ&ザ・ロケッツ、ビギンといったアーティストたちとのジョイントやCM音楽の制作、はたまたアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を手がけるなど幅広く活動する。酔いどれているような木村のヴォーカルは、ふらふらと漂いながらも曲にしっかりとした息吹を吹き込み、聴くものの背筋を震撼させるような圧倒的なパフォーマンスを展開。また、そのようなストレートなブルースのみならず、ブギウギやレゲエ、カリプソ、沖縄音楽などにも接近し、不変のラインナップで世代を問わず人気を博す。98年に突然の休業宣言。彼らの魂の叫びを再び聴ける日はいつになるだろうか。 大事件 1970年頃大阪で結成。初ステージは島田以外の3人が在籍していた大阪市立工芸高等学校の文化祭のステージだった。バンド名は「ブルース・バンド」の邦訳で、内田勘太郎が考えた。1975年、トリオレコードのショーボートレーベルからアルバム「憂歌団」でデビュー。同作からのシングル「おそうじオバチャン」は、彼らの代表曲として知られているが、「掃除婦に対して差別的な歌である」との理由により、放送禁止処分を受けた。1976年、ブルースマン、スリーピー・ジョン・エスティスの来日公演の前座とバック・バンドを務める。このときの模様は「Blues Is A-Live」と題されたライブ盤となっている。1983年、フォーライフレコードへ移籍し「リラックス・デラックス」をリリースする。1986年7月、日比谷野外音楽堂で開催されたジャパン・ブルース・カーニバルに出演。以後、活動停止まで、同カーニバルには毎年出演した。1988年、プロデューサーに康珍化を迎えたアルバム「BLUE'S」が結成以来のビッグヒットとなる。1993年にはフォーライフを離れ、ワーナーミュージックからアルバム「GON-TA」をリリースした。1996年、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の4作目において、オープニングとエンディングのテーマ曲を担当する。また、その第33話では妖怪さら小僧の歌を盗用するバンドとして、全員が本人役で特別出演した。1998年、バンドの冬眠を宣言し、同年12月に名古屋、大阪、東京で最後のコンサートを行った。オリジナル・アルバム * 1975年 「憂歌団」(SHOW BOAT)* 1976年 「セカンド・ハンド」(SHOW BOAT)* 1977年 「生聞59分」(SHOW BOAT)* 1978年 「四面楚歌」(SHOW BOAT)* 1979年 「ローリング・ステディ」(SHOW BOAT)* 1981年 「夢・憂歌」(SHOW BOAT)* 1983年 「リラックス・デラックス」(フォーライフ)* 1984年 「気分」(フォーライフ)* 1985年 「UKA」(フォーライフ)* 1986年 「SUMMER DOZE」(フォーライフ)* 1986年 「ベスト・オブ憂歌団ライブ」(フォーライフ)* 1988年 「BLUE'S」(フォーライフ)* 1989年 「Big Town,Small Hands」(フォーライフ)* 1990年 「Good Time's Rollin'」(フォーライフ)* 1993年 「GON-TA」(ワーナーミュージック)* 1994年 「知ってるかい!?」(ワーナーミュージック)* 1995年 「ブルース・バウンド」(ワーナーミュージック)